僕は夫婦仲が悪い機能不全家族で育ち、現在もACとして自分の育て直し作業に奮闘している者です。
しかし、自分の育て直しをするにも親という根本的な原因を無視したままではこれ以上進まないと感じることがありました。
(一概に親に立ち向かわなければならないとは思いません。僕の場合はそうした方がいいと感じたということです)
そんな僕が、スーザン・フォワード「毒になる親」に書かれている内容に従って、親と対決した時の様子を書きたいと思います。
壊されて未だに自尊感情がない、ずっと自己肯定感が低いままという方には何かしらのヒントになるかもしれません。
対決とは
まず対決とは何かを簡単に説明しておきます。ご存知の方はこのセクションは飛ばしてもらって構いません。
「毒になる親」の著者、スーザン・フォワードは対決を次のように説明しています。
「子供時代の自分に起きた不幸な出来事について親に語るのだ。
そして、それらの出来事がいかにあなたの人生に害を与え、また現在の彼らとの関係に害を与えているかについて、あなたは親に語るのだ。
また、彼らとの関係のどのようなところが現在のあなたにとって苦痛であり有害であるかについて、あなたははっきりと親に示すのだ」
大切なことは親に向かって自分が内に秘めて来た不満や苦痛を話すということです。
そして、極めて大切なことですが、その目的は親に苦痛を理解してもらい謝罪してもらうことではありません。
目的は、親に毅然と立ち向かい、そのことによってもはや自分は親に支配されていない一人の人間として生きて行くことができる主体的な人間なのだということを認識することです。
人生の主導権を取り戻すという言い方をすると僕は分りやすいと思いました。
よって、結果的に親との関係が悪くなろうと、親に逆切れされようと、親に向かって毅然と立ち向かうという行為そのものが大切なのであって、対決がどのような結果に終わったかはあまり関係ありません。
ポジティブな効果
最も重要なことは対決をすることでいったいどのような効果があって、どのくらいの価値があることなのかだ思います。
もしこれから対決しようかと思っている方がいたとしたら最も知りたいのはこの点だと思います。
ですので、ポジティブな効果に関しては最初に言及しておこうと思います。
僕は対決後、死にたいと思うことがほぼなくなりました。
いままで僕には、のどの奥にどす黒いどろどろがつまったような、奥底からくる自己否定がありました。非常に感覚的な説明で申し訳ないのですが。
もう自分は生きていても仕方がないという確信。
そもそも自分には生きる資格がないという確信。
自分は汚くてみじめで尊重するに値しない弱くて甘えた情けない存在であるという確信。
どれか一つでもなんとなくわかると思っていただける説明があると嬉しいのですが、このような自己否定感がありました。
僕はこの自己否定感を感じないために、何かに依存し、没頭することでこの感情から逃げていたんだと思います。しかし、根底にはずっとこの感覚が眠っていて、ふとした拍子にひょこっと顔を出したりしていました。
テストでうまくいかなかったとき、知人とうまく話せなかったとき、家族に小言を言われたとき。
いちいちこの感情がよみがえってきて、いちいち自分が世界から否定されているような感覚に陥っていました。
しかし、これらの感情は、対決後の僕の中にはもはや見当たりません。たまにふと癖で死にたいなんて呟きたくなることがありますが、根底にある感情の大きさが桁違いに小さいんです。なので、もうあと1,2年たてば(そのとき生活が安定していれば)死にたいなんて簡単に思わなくなるという予感が強くします。
これが対決によるポジティブな効果です。
かなり、読んでくださっている方の感覚に頼る説明です。しかし、いま苦しんでいる方にはなんとなく伝わってくれるんじゃないかという気がします。(わかりにくかったら申し訳ないです)
当日の様子
僕の場合は対決は母と僕の二人で行いました。
スーザン・フォワードは両親二人そろっている状態で対決することが推奨しています。ここは僕のアレンジです。
なぜこのような形にしたかというと、僕の場合は父が部分的に理解を示してくれたからです。
これは自分にとって幸運な出来事で、まさか父が状況を部分的にでも理解してくれるとは思ってもみませんでした。
父は僕が中3のときに解雇されそのときから様々な苦労をしてきたので、そのなかで丸くなって昔の自分(昔はかなりモラハラ気質の父でした)に対しても思うことがあったのだと思います。
父が僕に理解を示したくれたのが9月くらいの出来事です。これをきっかけに母との対決を決意しました。
(ただし、対決における支援者は父だけではありませんでした。
僕は高校時代に出会った友人に話を聞いてもらい、全面的に味方でいてもらえました。2人の支援者がいてくれたことは幸運だったと思います。
詳しい途中経過は、対決の準備編で改めて書きたいと思います)
当日は上野にある個室の居酒屋で行いました。
「毒になる親」の著者、スーザン・フォワードは対決は自分の家かカウンセラーのオフィスでやることを進めています。
しかし、僕は母に家に来てほしくなかったのとカウンセラーにかかるお金はなかったのとで、妥協案として個室の居酒屋を選びました。
ここから、対決の内容に入りたいと思います。
料理を少し注文しました。これは互いに過度な緊張を和らげたいと思い、気まずくなったらなにかに箸を伸ばせるようにという目論見で頼みました。
当然、お酒は頼んでいません。
まず、対決の最初には約束をしました。それは、
「自分の話を遮らずに最後まで聞いて欲しい」
「反論があるならそのあとですべて聞く」
「これは重要な話なので真剣に聞いて欲しい」
といった、話し合いにおける基本的な約束事です。
この約束事は全て、「毒になる親」(スーザン・フォワード)の対決の仕方の章にかかれているものをそのまま使ったものです。
母はこの約束には応じてくれました。
そして、僕の母は思ったよりも激しくなく、むしろこれから話し合われるであろう内容に覚悟を決めているようにも見えました。
僕はこの母の変化が意外でした。
僕は大学院に進学するために一人暮らしを始めたのが10か月前です。
(費用は自分が大学時代にアルバイトで貯めたお金150万、奨学金の残り、祖父母に頼んで支援してもらった数十万で、両親からの援助は一切もらっていませんでした)
その10か月前から完全に母とは連絡を絶っていたのでこの変化に気づかなかったです。
10か月前、僕が実家にいたころには僕は親から心理的な虐待を受けていたかもしれないと気付き始めていたので、どのようなことが嫌で何がつらかったのかを一度母に話したことがありました。
簡単に内容を書いておくと、
・中学時代、常に偏差値75を目指すことを強要されていたこと
・遊び、部活、恋愛は二の次、三の次で勉強ばかり心配な生活を余儀なくされたこと
・いくら成績が上がっても「これじゃダメだ」としか言われなかったこと
・当時夫婦仲が最悪で、とくに僕は父と仲が悪く父を心底嫌っているのを知っていながら「おまえは父さんそっくりだ」と発言したこと
・夫婦喧嘩の仲裁(父が母に暴力を振るわないようにするためのガード)をせざるを得ない状況になっていたこと(結局、父が母に直接暴力を振るおうとしたことはありませんでしたが、ものを壊すなどの間接的な暴力があったので、バッファとして僕が必要でした)
僕はもともと繊細なタイプの人間だったのでこういったことがかなりつらかったです。そして、こういうことが嫌だったんだと実家で話したことがあります。
そのときには、母は激怒して
「おまえが弱いだけだ」
「おまえは甘えている」
「私はもっとつらかった」
と怒鳴りつけられました。
この経験があったので、今回の対決でもきっとこのような逆切れがあるだろうと予想していました。ですので、僕としては母の静かな態度に意外さを感じてしまいました。
(のちに対決の中で、この10か月前の逆切れの話を母にすると「全く覚えていない」ということでした。人にストレスを与える言動って、発言した側は結構覚えていないものなのだということを改めて感じました)
そして、今回の対決の中では上記のことをもっと詳しく説明しました。
また、母に毒親という概念をそれとなく説明しました。
母の両親もまた問題がある関係だったことはしっていました。いつも喧嘩していて、祖父は祖母の腹に蹴りをいれ肋骨を骨折させたこともあったようです。
そんな喧嘩のさなか、兄二人(僕にとっては叔父)の部屋の隅で小さくなっていたのが母の生活だったようです。
だから、その経験によって両親(祖父母)の良くないものが母にも表れてるんだということを説明すると、
「そうだとしたら私の代で食い止めたかった。そのよくないものをおまえに伝えてしまったのだとしたらそれは申し訳なく思う」
といってくれました。
要は謝罪してくれたわけです。
驚きでしたが。
どうやら、僕の場合はスーザン・フォワードの言うところの極めて少ない例なのかもしれません。母が毒親の概念をなんとなくでも理解してくれたことで、これから毒性が低くなるよう努力してくれるかもしれません。
毒親たちはもしかしたら責められるのが耐えられないだけなのではないかと感じました。
自分たちもまた子供として満たされていないのが毒親です。
ですから、その満たされていない部分を認めて、それはあなたの責任ではないと言ってあげれば謝罪も出てくるのかもしれないなと感じました。
その後、謝罪してくれたので話し合いは終了することにしました。もちろんこれで問題は終わりではありませんが、ここから先は僕が自分の責任でなんとかするべき問題です。(自分の育て直しなどの作業)
親を完全に許せているかは微妙です。以前に比べて憎しみを感じることはだいぶ減りましたが、開け放して感謝する気にもまだなれません。
ここに関しては時間をかけて少しずつなるようになればいいのかなと思っています。
ということで、これが当日に話し合ったことの全容です。少しでも参考になる部分が読んでくださった方にとってあれば幸いです。
改めて、対決するまでに僕が準備したことはどのようなことだったかということを別記事で書こうと思います。
ネガティブな現状
最後に、僕が現在感じている対決のネガティブな側面に関して述べておこうと思ます。
ただ、対決によって僕はだいぶ気持ちが軽くなったと感じています。
強調しておくべきはポジティブな側面のほうがずっと大きいことです。その中で、ネガティブな面も全くないわけではないということです。
別記事でもすでに書きましたが、対決の前夜にはとてつもない恐怖を感じました。
それこそ、足元から地面が崩れていくんじゃないかというような恐怖を感じました。
そして、その恐怖を乗り越えた分、その経験はそのまま自信につながっています。
しかし、それだけでめでたしとはいかなかったなと感じているのがこの記事を書くのに3か月もかかってしまった原因です。
(Twitterの方で対決したら報告すると言っておきながら3か月も記事を更新できませんでした。すみませんでした……)
端的に言ってしまうと、対決で自尊感情を取り戻すとどうやって生きて行けばいいのか分からなくなりました。
いままで人生設計の全てが、自分は生きていてはいけない人間で、ひととかかわる事が出来ないダメな人間だという前提に組み立てられていたので、それを変えて行けるとなるといままでの人生設計は立ち行かなくなるのです。
これは喜ばしいことである反面、どうしたらいいのかわからないという不安にさいなまれています。
大げさな例えですが、フランクルがアウシュビッツの強制労働から脱出することができたあとに経験した精神状態に少し似ているのではないかと思います。
苦難はさったものの、いままでこの苦難に堪えた時間はなんだったのかと感じてしまう瞬間があります。
ただ、現在はなんとか希望や人生の目標というものを見つけようとあがいています。
苦しくはありますが、決してどん底にいるわけではありません。
自分では夜明け前の暗さだと信じています。
くさらず元気にやっていきたいと思います。
また、もう一度強調しておくと、総合的な対決の効果を考えるとポジティブな効果の方が大きいです。
少なくとも現在の僕には辛い自殺願望が起きません。
さいごに
ということで以上が対決を経て起きた僕の内面の変化と、当日の様子でした。
結論としては、やはり対決は効果がありました。
そして、大切なのは親に謝罪してもらえたから効果があったのではなく、
親に対してひるまず正面から立ち向かえたという達成感からポジティブな効果が出てきているということです。
僕の場合は幸運でしたが、きっとあの日親に逆切れされていたとしてもポジティブな効果は得られていたんじゃないかと、ほぼ確信に近い感覚を持っています。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。
参考にした本
この本をもとに行動しました。親のことで悩んでいる方は一度は読んで損は無い本だと思います。